沿革

中央工営株式会社60年の歩み

中央工営株式会社は、1963(昭和38)年3月に創業し、2023年(令和5年)3月で創業60年を迎えます。
私たちは、空港維持工事のパイオニアとして、知識と技術を駆使し、週日・土日祝日を問わず、昼夜を問わず、雨の日も、強風の日も、雪の日も、誠心誠意、東京国際空港と長崎空港の土木施設や航空灯火の維持修繕に取り組んできました。また、地元の事業にも積極的に取り組み、地域の発展に寄与してきました。
創業以来、航空輸送は目覚ましい発展を遂げましたが、私たちも常に新技術に挑戦し、時代に見合った業務の実施方法等を模索してきました。
中央工営株式会社は、これからも空港の機能維持や改良事業に積極的に取り組むことで、航空輸送の安全や発展に貢献してまいります。

昭和の作業風景

標識維持工

標識維持工

舗装面清掃工

舗装面清掃工

草刈工

草刈工

当社設立当時、羽田空港は米軍から返還され10年が経過したころで、滑走路やターミナルなどのインフラがようやく整い始めた頃でした。その後、今日まで空港施設の拡張は継続して行われ、現在では年間発着回数38万回を誇る世界でも有数の空港に成長しました。
羽田空港に就航する航空機も年を追って大型化が進み、空港の運用時間の拡大、さらには外国航空機の就航増大とも相まって、空港土木施設を常時健全に保つとことが、極めて重要なファクターとなっています。

羽田空港の変遷

当社創業(1963年)の頃の羽田空港

当社創業(1963年)の頃の羽田空港

当時3本の滑走路がありましたが、これらは既にすべて撤去・移転されています。ターミナルは現在の第3ターミナル近くにありました。

2022年の羽田空港

2022年の羽田空港

滑走路はA,B,C,Dの4本です。ターミナルは第1から第3まで3か所が順次整備され、世界でも有数の国際空港へと発展しました。

羽田空港旅客数の推移

羽田空港旅客数の推移

中央工営と東京国際空港・長崎空港をめぐる主な出来事

年代 中央工営のあゆみ 東京国際空港における
主な出来事
長崎空港における
主な出来事
1952 ハネダが日本に返還され、東京国際空港として発足(滑走路2本)
1955 旅客ターミナルビルが完成 旧海軍施設を利用して大村空港が発足(滑走路長1200m)
1963 3月18日:中央工営株式会社が発足
[資本金]   300万円(6,000株)
[本社]    台東区浅草千束町1-177
[代表取締役] 小林与三郎(初代)
1964 C滑走路(3150m)が供用開始
東京モノレール(浜松町ー羽田)営業開始
1965 本社移転:台東区千束2丁目28番9号
1966 資本金を450万円へ増資
1968 代表取締役に笹木武(2代)が就任
本社を大田区羽田空港2-7-3に移転
1971 資本金を1,008万円へ増資 B滑走路が2500mに延長
1972 決算期を「4月~3月」から「6月~5月」に変更
1975 長崎営業所を長崎県大村市箕島593-2に設置
航空灯火施設維持工事他の業務開始
我が国初の、海上空港として長崎空港(滑走路2500m)が供用開始
1977 代表取締役に石橋貞次(3代)が就任
1978 資本金を1,500万円へ増資 成田空港の開港に伴い国際線が移転
1980 代表取締役に永野眞(4代)が就任 長崎空港の滑走路が3000mに延長
1988 代表取締役に稲田太(5代)が就任
資本金を3,000万円へ増資
新A滑走路(3,000m)が供用開始
1993 東京国際空港西側ターミナルビル(現第1ターミナルビル)地区が供用開始
1996 本社を大田区羽田4-16-10に移転
1997 新C滑走路(3000m)供用開始
1998 代表取締役に本間昭次(6代)が就任
東京空港営業所・作業所を羽田空港3-7-5に移転
京浜急行空港線が羽田空港駅まで延伸
2000 新B滑走路(2500m)供用開始
2002 代表取締役に藤倉豊吉(7代)が就任
2004 第2旅客ターミナルビル供用開始
2008 夜間常駐による、舗装点検等を開始 ターミナルビルをリニューアル
2009 代表取締役に左中規夫(8代)が就任
2010 D滑走路(2500m)が供用開始
新国際線ターミナルが供用開始
2011 東日本大震災で被災した仙台空港応急復旧を支援 A滑走路(旧大村空港)を長崎空港から分割し防衛省に移管
2014 C滑走路が3360mに延長
2015 代表取締役に福田幸司(9代)が就任
2020 第2旅客ターミナルに国際線施設が完成
都心上空飛行の規制緩和により空港容量拡大
2022 代表取締役に傍士清志(10代)が就任